他ではあまり語られないことを、赤裸々に語ります。

果てしなく自由に憧れてたけど、実際自由になってみたら想像以上に・・・

よかったら僕の頭の中と日常を覗いてみてください。

 

そもそも、自由ってなんだ

 

自由って実はものすごく曖昧な言葉で、受け取る人によって意味がまったく変わってきちゃうんですよね。

Twitterとか見てみると、

 

「大好きな仲間と海外で乾杯!」だとか、

「会社に行かずPC1台で自由に生きてます!」だとか、

「働く場所に縛られず、自由な働き方をしています!」だとか、

 

総じて怪しいの一言でしか表現できないような観念を「自由」と表現しているのをよく見かけます。

彼ら(彼女ら)、自由を謳ってるクセにやたらとLINE@とかサイトに誘導しようとしてきますからね。

僕からすると本当に今現在自由なのかも正直疑わしいなーと思いながら、冷ややかに見守っています。

 

僕みたいなコミュ障からすると、そこまで好きでもない人間も含めてワラワラと群れて何かをするのはかえって不自由だと感じるし、南国のビーチに行ってまで四六時中PCと向き合って作業しないと稼げないって、場所に縛られてないだけで全然自由じゃないじゃん、とか思うわけです。

 

たとえば「脱社畜」に代表されるような、制約や束縛からの開放も「自由」と表現しますが、それは「自由になる」という動詞的意味合いであって、自由そのものを表す言葉ではありません。

 

自由って人それぞれ。

ある人にとっての自由が、またある人にとっては不自由だったりする。

だから自由というワードはあまりにも曖昧だと言わざるを得ません。

 

総じて僕は、選択肢の多さと優先順位のコントロールを自由と定義しています。

具体的にはこういう感じです。

 

●働きたければ働けるし、働きたくなければ働かなくてもいい。

●いつでも海外に行けるし、家に引きこもっていたっていい。

●天気が悪ければ無理して外に出なくたっていい。

●混雑する土日は家でゆっくり過ごして、平日に出かけてもいい。

●夜更かししてもいいし、早寝してもいい。

●目が覚めるまで寝ててもいいし、目覚ましをかけて早起きをしてもいい。

 

自由だからこその難しさもある

 

何でも自由に決められるということは、裏を返せば自分で決めなければ何も決まっていないという状態でもあります。

 

一日中YouTubeを観ててもいいし、一日中何かを勉強していてもいい。

ギッシリ予定を入れてもいいし、全く入れなくてもいい。

 

こうなると、一度立ち止まって方針のようなものを決めないと、何も生み出さない日が何日も続いたりします。

ギチギチの制約の中で生活しているとそれが煩わしくてしょうがないんですが、実はこの制約が日常のリズムやメリハリみたいなものを生んでいたことに気付きます。

 

いや、だからってそれをほとんど他人に決められている状態というのは、どんなにリズミカルであってもとんでもなくストレスフルで、お世辞にもいいものとは言えないんですけど。

 

さっきも言った通り、優先順位をコントロールできるのは大きなメリットです。

会いたい人に会い、会いたくない人には会わない、人間関係を選べるようになります。

 

つまらない人やネガティブな人

何かを与えてもらおうとばかりする人

向上心がなく、せっかくの休みを娯楽だけで潰す人

 

ぶっちゃけそういう人といても「なんか楽しくない」と感じてしまう僕ですが、会社員だと付き合わないわけにもいかない、みたいなことありますよね。

人間関係すらも自由、と言われると改めて付き合う人を考え直すことになります。

 

制約ばかりでただ忙しく過ごしても、窮屈で仕方ありません。

だからといって、自由だからとただ怠惰に過ごしても、それはそれで退屈なだけです。

退屈ってヘタすると多忙よりも苦痛です。

有り余る時間を何に使うか?

 

自由すらも目的ではなく、手段なんだと知りました。

 

社畜を辞めた僕のとある1日

 

 

 7:45 長男の登校を見送って、二度寝。

 9:00 起床、SNSやネットをざっとチェック。

 9:30 家事開始。掃除機かけて、皿洗って、長女と次男と戯れる。

12:00 長男以外のみんなで昼ごはん。

13:00 友達が遊びに来る。

15:00 長男が帰宅。宿題を一緒にやる。

15:30 家族全員でばあちゃん(母親)の顔を見にいく。

17:30 帰ってきて子どもたちを全員お風呂に入れる。

18:30 家族全員で晩ごはん。

20:30 子どもたちを寝かしつける。たまにこのまま寝落ち。

21:30 ブログを書く。1〜5時間くらい。休憩でYouTube。

 2:00 シャワー浴びて就寝。

 

特別なこと何もしてないんですが、こんなんでかなり幸せです。

子どもが6歳、1歳半、3ヶ月(※2018年8月現在)なのであまり遠出もしませんしね。

ただ、長男の夏休みは同級生の中では群を抜いて充実してたと思うw

 

子どもたちにものすごく手がかかる時期なので、いやー自由になったなー!みたいな感覚は実は薄かったりするんですが、嫁さんと育児を楽しみながら、毎日些細なことで爆笑しています。

 

「普通」が全然普通じゃなかった会社員時代

 

 

僕が会社員の頃は、休みが合う友達としか会えなかったし、子どもの宿題を一緒にやるどころか、子どもが寝てから帰ってきてました。

毎日子どもたちとお風呂に入ることもできなかったし、家族全員で食卓を囲むことすらできませんでした。

その上で、家事育児はほとんど嫁さんに任せっきり。

世の夫婦に喧嘩が多いのも納得です。

 

特別なことをしていないはずの日常が、会社員時代はほとんどすべてが特別なことになってしまっていました。

高級外車にブランド品、海外で豪華な食事!みたいなものにはほとんど興味がなく、日々こんな感じで過ごしています。

経験欲は強いので、末っ子がもう少し大きくなったら国内外問わず出歩きたいなと思ってます。

意外かもしれませんが、現在はほとんど派手さはありません。

 

それもそのはず、「お金が欲しいから頑張った」のではなくて、「人間らしく普通に過ごしたいから頑張った」ので、人間らしく普通に暮らせていることがとても幸せです。

 

北海道札幌市という場所なので、都心に住んでいたときと比べて生活コストもかなり下がりましたしね。

 

参考:僕の出費

外食はあまりしない。嫁さんのご飯がうまい。

家にいるときは大体スウェット、一日中パジャマでいることも。

本やツールなど、自己投資には出し惜しみしない。

月に数回、会いたい友達とだけ、ご飯や飲みに行く。

youtubeは無料、Huluは契約、子どもと遊ぶか引きこもってPC。

 

ただダラダラしてるわけじゃなく、僕も嫁さんももっと稼ぎたいと思ってるので、自分のタイミングでガッツリビジネスもするし、チャレンジも存分にしています。

余談ですが嫁さん、素晴らしく自立心がある人で、一方的に僕に食わせてもらう、みたいなのは絶対イヤな人なんです。

 

今はブログを書くこと、友達のビジネスのスタートアップを手伝ったりサポートをしてる時間がかなり楽しいです。

人の役に立って稼いだお金は格別で、公演などで人前に立つのも大好きです。

あとは起業したい人やブロガーさんと繋がりたいなー。

 

改めて書いてみると、幸せすぎワロタ。

 

不労所得月収30万円くらい → 一気にストレス減

 

多分このくらいのときに、「ああ、これで社畜とはオサラバして自由に生きていけるのか・・・」と思った気がします。

月収30万円はサラリーマン当時の給料より全然少ないんですが、首都圏から地元札幌にUターンしたことで、月30万円くらいあればめちゃくちゃ節約とかしなくても、家族5人で普通に生活できます。

ちなみに持ち家で大きめの車もあるので、かなり快適です。

何よりも、一時的に収入が減っても自由な時間に勝るものはありません。

 

 

やっぱりストレスの大半が会社だったんだなーと再確認しました。

夜更かしできない、早起きしなきゃいけない。

地獄の平日通勤電車、土日祝日は出かけても混雑で渋滞地獄。

雨が降ろうが槍が降ろうが、発熱していようがとにかく出勤。

嫌いな人とも付き合わなきゃいけない、他人の責任まで取らなきゃいけない。

生産性のない、一向に話がまとまらない無駄な会議。

完全に時間の無駄としか言いようのない飲み会。

これ、やる意味ある?っていう仕事の数々。

仕事のために増える謎の仕事。

鬱陶しい上司、やる気のない部下、生産性のない会話、気の遣い合い。

ていうかもう会社辞めたい。

 

こういう世界に関わらなくて良くなっただけで、すこぶる体調もよくなりました。

最近のストレスはー・・・長男の口答えが日々激化してることですかねw

 

仕事の基準は「楽しいかどうか」「誰の役に立てるか」

 

もっと稼ぎたい気持ちが強いので積極的にビジネスや投資もしますが、「お金をモチベーションに働く」ということがそもそも無くなりました。

「これは楽しそうだし、やりたいことだからお金関係無しでもやってみよう!」というときもあります。

ラジオ出演や対談とかがそうですね。

 

楽しい→熱中する→結果が出る という方程式みたいなものがあるので、興味関心で仕事を選べるのは好循環を生むいい傾向だと思っています。

 

また、会社員の頃は「誰の役に立ってるかよくわからないけど、とにかく行けば金になる」っていう意識がいつもどこかにあったんですが(こんな意識低くてよく出世できたなと思います)、今は誰の役に立つかを選べる、というのがとても気に入っています。

サービス業や営業を経験されている方ならわかると思うんですが、「なんだコイツww」みたいな横柄な客であっても、立場上愛想よく接しなきゃならないじゃないですか。

眼の前のクレイジーな客にもストレスかかりますが、自分の本心を押し殺して力技で作り出す笑顔もハンパなくエネルギー使うし、同じくらいストレスなんですよね。

 

当たり前のことだけど、どうせ誰かの役に立つことをするなら、赤の他人よりも親しい友達とか、友達の友達みたいな距離感の人の役に立ちたいもんね。

 

稼げなくなる心配はないの?

 

めちゃくちゃ心配です。

僕、家族4人養ってますから。

 

でも、心配だからこそ僕は仕事は1つに絞らず、投資も分散しています。

そのすべてが一夜にして消し飛ぶ、なんてことはまずあり得ません。

その状態を作ることに全リソースをぶち込んで、娯楽や無駄を極力排除して6年間やってきましたから。

 

安定的な不労所得になるものはもうあるので、今はひとつひとつの収入を増やすことと、さらに得意なことを活かした新しい収入源を作ろうと動いています。

心配性なんですw

 

万が一すべてが吹き飛ぶことがあったとしても、資産を売却すれば数年は大丈夫。

これまでの経験や身につけてきたスキルは失うものじゃないので、それらを駆使して死ぬ気でなんとかしますw

 

ということで、長々書いてしまいましたが、結論。

こういう自由のカタチもあるし、やっぱり自由っていいよ。

何物にも変えられないし、何者にも邪魔されないってのは本当に心地良く、何よりも心身共に健康でいられますからね。

 

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