恐らく9割5分の人が興味がないであろう、筆者は何者だシリーズ。

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現在のスペック

 

1981年生まれ、札幌育ち→東京転勤→札幌にUターン。

肩書は投資家、事業家、ブロガー。

自由じゃなきゃ死んでしまう動物占いペガサス、3児のパパ。

●極度の方向音痴。コンビニに立ち寄ると来た道を戻ろうとするのは日常茶飯事。

●甘党。バウムクーヘンやカステラが特に好きで、与えると上機嫌になります。

●絶望的な記憶力。人の顔と名前を覚えるのが特に苦手。

 5回くらい会うか、よっぽど特徴的な人じゃないと覚えられません。

 会うの3回目の人に「はじめまして」とか言っちゃうのは日常茶飯事。 

 人としてあるまじきことですが、もうこれは病気です。

 病気なので許してやってください。

●基本的にド正直。見た目が胡散臭いのかよく勘ぐられますが、大体本音。

 言葉にあまり裏がないので、そのままの意味で受け取ってもらえたら幸い。

 

収容からTOP営業マンへ

 

2009年のこと。

未成年の内にダークサイドの底辺を経験して、ちょっとだけオトナになった僕。

就活をする頃にはだいぶ改心してました。

特にやりたいこともないし、資格もないし、営業しかねーな!という絶望的な消去法で大手不動産会社、エイブルの営業に就職。

 

なんと入社半年で北海道TOP営業マンになりました。

本人もビックリ。

 

繁忙期には月の休みが2日とかだったけど、上司にも同僚にも恵まれて、仕事にも手応えを感じて、なかなかいい滑り出しでした。

 

オマケに接客したナース(お客さん)をナンパ、これが後の最高意思決定機関、嫁となりますが、それはまた別の物語。

 

将来の嫁さんを仲介したとき、僕は衝撃の事実を知ることになります。

なんと、彼女の年収が僕の2倍だったのです・・・!

 

TOP営業マンで鼻が伸びていた僕ですが、一気にゲシュタルト崩壊。

(まだ付き合ったばかりなのに)このままでは将来、嫁に食わせてもらうことになってしまう・・・!それだけは避けねば!

ということで、約3年勤めた会社を退職して、転職することを決意しました。

 

社会人としてはじめて死にかけた話

 

2012年。

就職氷河期初期組だった僕は、最初の就職活動でなかなか内定が取れず、かなり苦労して入社した経緯がありました。

 

しかし・・・

 

応募した会社すべてから内定が出るという意味不明な状況に。

この時僕は、中途採用の採用基準が新卒のそれとは明らかに異なることを身をもって知ったのでした。

 

しかも・・・

入社した会社は直近の年収+200万を提示してきたのです。

嬉しい反面、(給料っていったいなんなんだろう・・・?)と、少しいぶかしく思いました。

だってまだ入社すらしていないのに、僕の年収は一気に跳ね上がることに
なったんですから。

この時入社したのは、大手求人広告会社マイナビでした。

 

意気揚々と入社したのものつかの間。

僕はここで死にかけます

 

前職で面白いように取れていた契約が、まったく取れなくなってしまったのです。

いわゆる新規開拓営業というヤツで、完全に先行者優位の焼畑農業。

担当が付いていない企業はどれも、かつて誰も契約できなかった絞りカスしか残っていなかったんです。

 

一日200件テレアポしても、アポすらなかなか切れない。

ようやく切れたアポも、全く商談にならず・・・。

結局、1件も契約が取れないまま3ヶ月が過ぎていきました。

こうなるともう生き地獄ですw

 

既に顧客を持っている年下の先輩社員は、朝からアポに出かけ、

アポのない人だけがひたすら社内に残って地獄のテレアポ1000本ノック。

上司は怒鳴り散らして急かす、けれども一向にアポは取れず・・・。

契約も取れていないのに先輩より先に帰るわけにもいかず、

異常に周囲の目を気にして付き合い残業・・・。

でも顧客がいないのでやることもなく、必死に仕事をしてるフリ・・・。

飲み会に行っても盛り上がってるのは売れてる営業マンだけ・・・。

気付けば朝8時に出社、退社は夜の12時、それを週6とかになっていました。

 

3ヶ月目には社内にいるのが辛すぎて、ダミーのアポで逃げるように外出して、

大通公園の片隅で、半べそかきながら自分のケータイでテレアポしてました。

あまりに自分が情けなくて、ネットカフェで泣いた日もありましたw

 

前職でTOP営業マンになった自信は根本から完全にへし折られ、なんでこんなに苦しい想いをしなければならないのかもわからず、とにかく必死でした。

今で言う情報商材を買って、通勤時間も惜しんで勉強したりもしました。

 

・・・と、思い出したら悲しくなってきたww
だって本当に、死ぬほど辛かったんだもん・・・

 

結局、初契約が取れたのは入社から4ヶ月が経った頃でした。

そりゃあもう嬉しかったですよ。

今思えば、この時なんですぐ辞めなかったのか不思議ですが、お陰でかなりメンタル鍛えられたので、まぁよかったかな?と思いますw

 

1年が経つ頃、ノルマはクリアできるようになっていましたが、精神的にも肉体的にももうボロボロで、多分鬱になりかかってたんじゃないかな。

でも、捨てる神あれば拾う神ありとはよく言ったもので、この時の顧客だったITベンチャーの社長からヘッドハンティングの誘いが。

ここから僕は人事にキャリアチェンジして、ようやく地獄の営業から開放されたのでした。

 

上司の方がキツイなんて聞いてないよ!

 

2013年。

ヘッドハンティングの条件は、営業ではなく人事として。

しかも給料は変わらず。

 

(辛く苦しい営業だから給料高かったんじゃないんかーい!)

 

と脳内ツッコミでしたが、有り難い申し出だったので快諾。

また一方で、(給料の基準ってやっぱりよくわからん・・・)と思ってました。

 

結論から言うと、この会社では毎年役職と給料が上がっていきました。

「細かいやり方はオマエに任せる!」というスタンスが僕には合っていたようで、次々と新しい企画を打ち立て、会社はどんどん盛り上がっていきました。

同僚にも恵まれ、地獄から一転、毎日が楽しくなりました。

 

給料がどんどん上がっていったこともあって、結婚をしたのもこの頃。

 

さらに、実績を認められてさらなる昇格と異動の話が!

人事をやりつつ、東京支社の支社長に抜擢され、飛ぶ鳥も落とす勢い!

 

・・・が。

 

ここで2度目の大きな挫折を味わいます。

生まれて初めての上司でいきなり大勢の部下を持つことになったのですが・・・

 

僕が上司になったことで態度が変わる社員が続出。

ライバルとして敵対視する人、

利害関係ができてゴマすりを始める人・・・

 

あんなに仲が良かった同僚たちの変わりっぷりに軽く人間不信になりながらも、次から次へと持ち込まれる眼の前の仕事に手一杯。

 

朝早くから夜遅くまで働き、

採算の取れない部署のスタッフと面談して解雇することもあり、

心身共にとてつもなく貯まり続けるストレス。

 

仮住まいだった大崎の1Kマンションでコンビニ弁当を食べて寝るだけの毎日。

初めての立場でどう役割を果たせばいいのかわからず、

部下は思うように動かず、

ビジネス書を買い漁っては必要な部分だけを読み漁って翌日の仕事で試す、

という自転車操業のような生活が3ヶ月続きました。

上司ってもっと楽だと思ってたのに・・・平社員の数倍キツイ・・・

 

3年が経つ頃、社長の粗も見え始めぶつかることが多くなりました。

それでも究極のところ、全社員の生活が肩に乗ってリスクを抱えてるのは紛れもなく社長です。

 

これ以上この会社の経営に口を挟むのは何か違うと思い、退職を選びました。

 

会社どころか社長に副業が直バレして退職した話

 

この頃から副業にも力を入れるようになって、転職の条件は

 

●自分がリタイアするまでに業績が大きく傾かない業種

●残業が少なく、副業をやるための時間が多く確保できること

●物理的に動きやすいように、勤務地は渋谷か新宿

●転勤がないように、本社勤務・人事

 

こんな感じで完全に副業に合わせて絞り、無事にまた人事部マネージャーとして転職しました。

副業に目が行き過ぎていたのか企業研究を思いっきり怠り、入ってみたら超絶ブラック企業。

 

ガリッガリの飛び込み営業の会社で、

営業職にはデスクも与えられず、

朝礼ではヤンキーの集会のように大声で声出し、

集合するときは福引に当たった時みたいな音がするハンドベルが鳴り響く。

 

うわぁ・・・と思いましたが、本社勤務・人事という条件があったため、僕は自分のペースで学校の就職課をハシゴしたり、会社説明会のMCや面接官をやっていました。

 

困ったことに、ここでも部下とのコミュニケーションが全然うまくいかず、どこで知ったのか僕の副業を上層部へ告発されましたww

そうとは知らず、社長室に呼ばれた僕。

 

しゃっちょ「仮面くん、どうする?降格は免れないけど。」

仮面「あ、今日で辞めますお世話になりました。」

 

入社からわずか8ヶ月目のスピード退職でした。

 

サラリーマン最後の会社で、ようやく管理職をクリア

 

今回も条件は変えず。

東京ってやっぱり日本一会社が多い場所で、これだけ条件絞ってもちゃんとあるんですよね、希望の会社。

 

さて、3社連続で部下とうまく付き合えず仕事がやりにくい日々が続き、さすがに副業云々の前にこのままじゃ降格の可能性もあるので、本業に力点を置くことに。

何がどううまくいかなかったのか結構ガチで分析して、実践してみたら、ようやく信頼関係が築け、チームとして機能するようになりました。

 

最後の方は、

 

「仮面さん、今日は定時までいますか?」

「あとは自分たちでやっておくんで、今日はもう帰ってくださいw」

 

と部下に言ってもらえる、素晴らしい関係を築くことができるようになりましたw

この頃は上層部からも信頼が厚く、仕事の大半は僕の判断に委ねられていたので、あんなに嫌だった社畜生活も結構快適になっていました。

リタイア寸前最後の2ヶ月は、今か今かと毎日カレンダーを見ては残りの出勤日数をカウントダウンしていましたが、本当に良いチームが出来上がっていたこともあって、ちょっとだけ終わりが来ることに寂しさも覚えていました。

 

リタイアして遠方に移住した今でも、当時のスタッフさんたちと交流があります。

この経験から、マネジメントやチームビルディングの経験を積むことができました。

 

関連記事>>>インデペンデンス・デイ

最終出勤日が終わってすぐに書いた、リタイア直後のエントリです。

 

それなりの年数生きてきたから、書くと長くなっちゃうのよ・・・

ここまで読んでくれてありがとう。

これからもよろしくね!

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